函館空襲77年 戦没者悼む 称名寺で慰霊祭【函館】
1945(昭和20)年7月14、15日の函館空襲の犠牲者を追悼する慰霊法要が14日、函館市船見町の称名寺(河本悠大住職)で開かれた。函館空襲を記録する会(浅利政俊代表)の主催で34回目。読経の中、参列した遺族や市民約25人が焼香し、犠牲者を悼み、戦禍を語りつぐことを碑前に誓った。
45年7月の北海道空襲は米空母艦載機による爆撃や機銃掃射が主体で、道内各地の沿岸部を中心に大きな被害をもたらした。函館では本州への輸送路を断つため青函連絡船が標的となり、青森側を含め12隻が壊滅。市街地の陸上部でも火災が起きたり、市民にも犠牲者が出た。慰霊碑は故須藤隆仙前住職の理解を得て89年に建立し、米兵犠牲者らもしのぶ。
今年は浅利代表(91)が調査している米潜水艦攻撃で恵山岬沖に沈んだ大文丸、宮崎丸2隻の戦没者名も読み上げて慰霊した。浅利代表はロシアによるウクライナ侵攻に触れ、「戦争の残酷さが毎日報道され、悲しみや怒りを込めて見ている。戦争をなくすことはできる。平和、平和、平和をくださいと叫び、連帯することだ」と力を込めた。
参列した松住景子さん(90)は77年前、空襲警報を受けて山の下にあった防空壕に母と妹たちと逃げたが、駒止町(現弥生町)の鮮魚店兼自宅が全焼した。松住さんは「朝に逃げて、夕方に帰った時には家は何もなくなっていた。飛行機に乗った大きなメガネを掛けた(米兵の)恐ろしい顔が見えた。忘れられないこと」と話す。「(年齢的にも)最後。慰霊祭に参列できて良かったと思います」と話した。
松住さんの体験談は、45年に召集され、津軽要塞の司令部で兵役に就いた父竹松さんの証言とともに、浅利代表が91年に刊行した「教えてください、函館空襲を」に収録されている。
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