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箱館戦争戦った仏軍人の子孫来函 五稜郭で思いはせる【函館】

五稜郭タワーから五稜郭を眺めるヴァレイエさん(右から2人目)夫妻、右はポラックさん

 戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争(1868~69年)で、榎本武揚率いた旧幕府軍に参加したジュール・ブリュネ大尉ら10人のフランス人の一人で、オーギュスト・プラディエ(1839-1873)の子孫となるセシール・ヴァレイエさん(83)と家族が7日、来函した。プラディエが守った国特別史跡の五稜郭跡を訪問した。

 幕末明治期の日仏交流史に詳しく、ブリュネ研究者としても知られるクリスチャン・ポラックさん(73)が同行。ヴァレイエさんはプラディエの弟のひ孫に当たり、夫と3人の息子と来日した。ヴァレイエさんは「祖母から話を聞いていた。プラディエは日本から母親に手紙を送っていて、五稜郭でしていたことや日常の生活のことを細かく書いていた。〝将軍〟の話が印象に残っている」と話した。

 ポラックさんの著書「絹と光 知られざる日仏交流一〇〇年の歴史」(アシェット婦人画報社、2002年)などによると、江戸幕府は欧州にならった近代陸軍を創設しようと1867年に仏から軍事顧問団を招き、士官として来日したのがブリュネ。戊辰戦争が始まり、顧問団の帰国が決まったがブリュネは皇帝ナポレオン3世宛ての書簡を残し、榎本武揚に合流する道を選んだ。

 箱館で戦った仏人は顧問団の下士官らも加えて計10人となった。プラディエは元軍人で65年に退役した後、横浜で絹や生糸を輸出する商社に勤めていた人物だという。

 ポラックさんは2021年11月に仏ドローム県モンテリマールのヴァレイエさんを訪ね、プラディエが残した手紙の一部を見せてもらい、「これまで謎だったことも少しずつ分かるようになった」と話す。ブリュネらは榎本軍の敗戦が色濃くなった頃に箱館湾にいた仏艦コエトロゴン号に〝投降〟し、雌雄が決する前に横浜へと送還された。手紙にはプラディエは同行せず、榎本の降伏まで五稜郭にいたことが書かれていて、最終的には米艦に乗って箱館を離れたという。ポラックさんは「手紙がほかに残っていないか探してもらっている。プラディエが乗った米艦も調べたい」とする。

 箱館戦争後は再び商社で働き、1873年に亡くなり、横浜外国人墓地に今も眠る。今回の来日では墓参も実現した。五稜郭タワーでは中野晋専務やNPO箱館写真の会の野戸崇治代表も同行。箱館奉行所も訪れた。仏からもたらされた技術で築造され、先祖が守った五稜郭で思いをはせたヴァレイエさんは「大変美しく、感激した。フランスと日本とのつながりも感じた。(プラディエは)日本に来たとき礼儀正しい生活、行動をしていたと思う」と話していた。

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